もうダメだ、と思うとき

朝8時。生憎の曇天。

 

 

僕はふと悲しい気持ちになった。

はてなブログとは、優れたコンテンツだ。

清潔感あるデザインの箱の中に、

ぎっしりと、日常に生きることの陰鬱さ、やるせなさが詰まっている。

 

でも僕は...

こうしたブログに書くべき陰鬱さを、ひとつも持ち合わせていない。

僕の持つそれと、コンテンツを残す者のそれは、

同様の陰鬱さだとしても、その色彩は少しだけ異なっている。

 

私という人物は、

思想の実践こそが自身に与えられた生の使命だと考え得るような高慢さを持つ一方、

結局はその適当さから自分の生活に飽き飽きしてしまうような、

単なる優柔不断な性格の持ち主なのだが、

 

こうした日常と密接なコンテンツに自分の考えを書き殴れる人間は、

生への執着がきちんとあって、目の前をドラスティックに変えたいと、

そう考えることのできる希望ある者なのだと思う。

 

 

でも僕は... もう一度、今度は觀念して考える。

 

 

僕がこれだけの思想を持ち、その体現にこだわり、

この実践が正義だと信じているのにも関わらず、

周囲の期待するような文章を記すことができかねるのは 、

あまりにも僕が現実の、日常の生活に対して無頓着すぎるからだと思う。

 

日常に対する執着が、

コンテンツ生成の原動であるとすれば...

 

 

もうダメだ、と思うとき。

 

 

これだけ強い思想を持ちながら、

それを生活に持ち込むことができない、

持ち込む原動力が実は更々ないのだということを、

痛感してしまうとき。

 

僕はきっと、世の中で健康に生きていくことが難しい人たちが、

つらくなった時に逃げ込める文章をこの世に生み出してみたかったのだ。

しかし自分には、そうした能力がないことを知っていた。

 

唯一僕を見捨てなかった文章たちが、

この裏切りを高らかに宣言する瞬間を、僕は耐えきれなかった。

 

全て知っていた。

文章と関わる一切の仕事から距離を置いたのは、

これがその理由の全てだ。

 

もう、僕の人生は取り返しがつかないのかもしれない。