「死にたいとは思わないが、どうしても生きたいと思えない」
10月10日「死にたいとは思わないが、どうしても生きたいと思えない」
無意識のまま涙が止まらなくなってしまった。
肉体と精神の離別。
僕は一体、どこへ行ってしまうのだろう。
肉体と精神の双方が異なる方向を向いている、という未知な感覚。
そして、忽然と生まれる疑問。
ひとはどうやって、自分の人生の無意味性を克服するのだろうか。
「ひとの一生が何か意味を持つのか。」
生きることに意味がある、という一種の諦念的な通説に納得するような人間なら、
そもそもこの問いは生じない。
この世界で生の意味を解釈しようとするとき、
”社会秩序の維持および更なる助長のため”という回答のほか、
妥当な理解を得ることは可能であろうか。
僕はわからない。
何もわからないことだけが、暗闇のなかで顔を出す。
いまの僕を活かすのは、
退屈な日常を彩らせた、ひとつひとつの小さい想い出たち。
その瞬間には、それが幸福だとは気づくことができなかったような、
かけらたちを集めて。
これから、そうした甘美な瞬間を、いくつ体験することができようか。
僕は甘美な瞬間に、生かされている。
決して、そのために生きているのではない。
こうした想い出たちを抱えて、そう簡単に死ねないのだ。
僕は、自殺した人間に、幸せかどうかを聞いてみたい。
明らかな後出しジャンケンではあるけれど、
おそらくみんな幸せと言うことだろう。
僕が仮に自殺をし、このインタニューを受けることになっていたらと考えた。
でも、幸せだと言うことはできないと思う。僕はきっと、このように答える。
"いま幸せと言うことはないが、僕の生きた23年間は幸せだった。"
想い出たちを頼りに生きる僕の人生は、全て過去形なのだ。
これからも、きっとたくさんの甘美な瞬間を経験するはずだ。
でも、そのためだけに、生きたいとは思わない。
もう十分すぎるほど、多くの財産を持ち合わせているから。
だが、今はその財産のために、死ぬことが困難になってしまっている。
救済のない生。道しるべのないまま、さまよう恐怖。
この生に、いつか光が見える時が果たして来るのだろうか。
今はただ、わからないことだけがひたすらにわかっているのだ。